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すべてがFになる 最終回 有限と微小のパン [すべてがFになる 最終回 有限と微小のパン]

すべてがFになるもいよいよ最終回。
原作の「有限と微小のパン」は800頁を超える超大作なんだけど、
やっぱりこれを2時間で収めるっていうのが結構大変そうだね。
いろんなとこ脚色されてる。
以下ネタバレになるけど、
ここでは、原作に基づいて詳しーく解説していきます。


ところで、ナノクラフト社の「クライテリオン」っていうRPGになぞなぞがあったよね。
「彼と彼女は正反対。でも彼女の上半分は、彼の下半分。上半分が彼なら、下半分は彼女。
海を越えたとき、二人は同じ尾をつけた人間になる」
これは、夏と冬。英語ではwinterとsummerで語尾にerがつくってことだったよね。
それとあと「バネと滝」。こっちはspringとfall(s)で春と秋。
つまりは、春夏秋冬で真賀田四季を現すのだ。
さらに、部屋番号など事件にまつわる数字は7に関連し、
真賀田四季が関係していることを全力で意味してたよね。


ゲームをしている者も、ナノクラフト社の社員もこのなぞなぞの本当の意味がわからない。
ただ、四季は犀川先生なら解けると思っていたのだ。
そして、このなぞなぞの答えを解いた犀川先生と萌絵が次のステップをやらされているのだ。
つまり、このユーロパークで起こった壮大な虚構のゲームを。


原作とはちょっと話が前後しちゃってるからアレなんだけど、
前回、萌絵は気がついたら目の前に四季がいたよね。
その時見た天井のステンドグラスは割れてなかった。
outsider5.png
実は、あの教会は2階建てだった。
全く同じつくりの教会が地上と地下の両方に作られていたのだ。


もっと言うなら、ほんとなら殺人事件なんて何も起きていなかった。
刑事の芝池もその他の警察官も偽物でみんな萌絵に見せるお芝居をしていただけなのだ。
だから、四季がナノクラフト社に匿われている、
って萌絵がどれだけ訴えても誰からも相手にされないのだ。


そんな時、副社長の藤原が萌絵に話すのだ。
このユーロパークは、塙理生哉が萌絵を迎え入れるために作ったものだ、と。
そして、面白いものを見せてあげるといい、案内した場所は、
バーチャルリアリティーを体験できる部屋だったのだ。
outsider2.png
まだ、研究段階だけど試してみようと言って萌絵にも勧める藤原副社長。
そして、事件は起きる。
そこで副社長の藤原が刺殺されるのだった。


これで3人死んだことになってるのだけど、
本当なら誰も死ぬはずじゃなかった。全てお芝居だったのだから。
ところが、そんなお芝居を利用して松本と藤原副社長を新庄がほんとに殺したのだ。
個人的な動機なんだけど、でもここでは新庄の殺人の動機なんてどうでもいいことなのだ。
動機によって許される殺人なんてないのだから。


新庄の予定外の殺人があったとは言えなぜこんな大がかりな芝居を萌絵に見せたのか?
このシナリオを書いたのはもちろん四季だった。
ただし、塙社長も藤原副社長も全て承知のことだった。
塙社長と藤原副社長とは考え方で対立してたのだ。
塙社長は現実におけるパフォーマンス、藤原副社長はバーチャルリアリティでの虚構。
つまり、現実に起きたかと思われる松本と新庄の死。
バーチャルリアリティーの世界で起きたような藤原副社長の死。
現実と仮想空間のどちらが大きなインパクトを与えるものなのか、
萌絵を被験者として実験していたのだ。


ところが、萌絵は両親の死以後、死に対しては特異な感情を持っている。
殺人事件が起きたとしてもそれほどの衝撃は受けない。
むしろ、真賀田四季の存在の方が萌絵には恐怖だったのだ。
なぜなら、四季が萌絵の中の精神の矛盾に気づいたとき、
敢えて両親の死の記憶を引き出し、死というものを四季に置き換えたのだ。
それはすなわち、萌絵の中の死にたいという人格を殺し、
生きたいという思いに変換することだった。(萌絵の解放)


そして、犀川先生と萌絵は再びバーチャルリアリティの部屋で四季に再会することになるのだ。
outsider3.png
四季の本当の目的は犀川先生だった。
犀川先生を呼び寄せるためにこのバーチャルリアリティシステムを作ったと言ってもいいくらい。
だけどそれは、恋愛感情的なものじゃないと個人的には思ってる。
犀川先生の方も四季にとても興味を持っていた。
世間のしがらみにとらわれずに四季のように純粋に研究に没頭したいと思う犀川の人格が、
四季のいる世界で生きたいと強く思うのだ。
だから、↓こんな風に犀川先生はすでに四季しか見てない。
outsider4.png
萌絵を置いてきぼりにして犀川先生は四季に誘われるままに一緒に行ってしまうのだ。
もちろんこれはバーチャルの世界なので現実として四季はその場にいないのだけど。
それでも、結局は犀川先生は、
四季のいる虚構の世界ではなくこの現実世界を選択するのだ。(犀川の喪失)
それは、やっぱり萌絵の存在が犀川先生に強く影響してるからだと個人的には思うのだ。


実は9話の最初、儀同世津子の家で、引っ越しの挨拶だと言ってインターフォンを鳴らした隣人、
それこそが真賀田四季だったのだ。
原作では、1年もの間、
「瀬戸千衣」という名で儀同世津子の隣に暮らし世津子とも仲良くなっているのだ。
せとちいは逆から読むといちとせ(一歳)。
一歳はすなわち四季のことだ。


そのことに気付いた犀川先生は再び妹の家を訪れる。
現実の真賀田四季に会いに行ったのだ。
少し会話をしたのち、ふたりはそのまま別れるのだ。
現実と虚構の違いなんて、煙草を吸えるか吸えないかぐらいの微小な差だ、
と思いながら。
これが原作のラストシーン。


原作では、犀川先生と萌絵の間にはこれ以上の進展はなにもない。
ほんとなら3話、4話の封印再度の時にふたりは婚約してしまうことになるんだけど、
ドラマではそのあたりは触れられてなかったからドラマのラストがちょっと楽しみだね。


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